東区の山車
山車と祭り
名古屋の山車(だし)は、元和8年(1622)ころから寛文年間にかけての江戸時代前期において、東照宮祭、若宮八幡宮祭に曳かれた山車に始まるとされていますが、現在の形に近い山車が登場したのは、万治元年(1658)になってからのことです。
また、江戸時代後期(寛政〜天保年間)には、三之丸天王祭(現在の那古野神社)に曳き出された車楽(だんじり)に、献灯し祭りを盛り上げる見舞車としての山車の新造があいつぎ、中心部以外でも、建造されたり、あるいは他の地域から購入したりして、近在に広がったといわれています。
東区には、神皇車(じんこうしゃ)、湯取車(ゆとりぐるま)、鹿子神車(かしかじんじゃ)、河水車(かすいしゃ)、王羲之車(おうぎししゃ)と称される、5輌の山車があります。いずれの山車も、長い間地域の人々に大切に保存され受け継がれてきた、伝統と歴史のある山車です。
毎年、6月の第1土曜日・日曜日の例祭日に天王祭が行われ、筒井町天王祭には、神皇車、湯取車が、出来町天王祭には、西之切の鹿子神車、中之切の河水車、東之切の王羲之車が、注連縄(しめなわ)の張り巡らされた町内を曳行(えいこう)され、その様子は初夏の風物詩として親しまれています。
また、10月中旬に行われる『名古屋まつり』や『東区区民まつり』には、5輌の山車が参加する、『山車揃え』が行われます。その豪華な姿、華やかな人形からくりとお囃子が披露され、楫方(かじかた)の熱気溢れる動きとともに、多くの人々を魅了し楽しませてくれます。
山車と天王祭
天王祭は、もともと牛頭(ごず)天王を祭ることにより、疫病を鎮めようとする天王信仰の祭礼であり、疫病流行のきざしや農作物に被害が出やすい初夏に、これらを払いのけることを祈願する祭です。この地方では津島神社を中心に、古くから各地で、いろいろな形態で行われていますが、からくり人形が載る山車が曳行される天王祭は尾張地方でも数箇所に限られています。
各山車の保存会では、祭の曳行に備えて、2週間前、あるいは1週間前の日曜日に、山車蔵から山車を曳き出し、外してあった楫棒(かじぼう)を取り付ける『棒締め(ぼうじめ)』を行い、あわせて山車本体や人形の点検を行い、傷んだ所を補修します。また、この頃から囃子方(はやしがた)の子どもたちの練習が始まり、町筋に流れる笛や太鼓の音が、まもなく祭であることを知らせてくれます。
お囃子には、大きく分けて曳行時に奏される『道行(みちゆき)囃子』と人形からくりに奏される『人形囃子』があります。
『道行囃子』には、『車切(しゃぎり)』、『神楽(かぐら)』、『早神楽(はやかぐら)』、『瀝(そそり)』、『七間町くずし』、『あめふり』、『帰り』など、多くの種類があり、そのときどきに応じて、使い分けられています。これらの囃子の名称や使われ方は、各山車ごとに伝えられているもので、山車により違いがあり、概ね5〜7種類の道行囃子が使われます。楽譜に表しきれない独特の音階、調子を持つ囃子の伝承には大変な努力がいります。
祭の山車は、町内各戸の無病息災、家内安全を願い奉曳されます。祭事委員長、元老といった祭事役員を先頭に、宰領(さいりょう)、綱頭(つながしら)の指揮の下、楫方、腰廻り(テコ)、人形方、屋根係、囃子方、綱方が一体となって曳く山車の姿は、まさに動く社(やしろ)といった感があります。
曲場(まげば)は、楫方の腕の見せ所で、前輪を地面につけたまま90度回転させる『ずり』、前輪を浮かし90度回転させる『立ちきり』、180度回転させる『どんでん』、270度回転させる『半八重』等によって方向転換を行います。所定の場では、人形からくりが奉納されます。2日間の祭りで、昼と宵の各1回、計4回、筒井町天王祭では、本祭りの前日の金曜日に行われる宵祭りにも、山車が曳かれます。
宵の山車は、数多くの堤灯に包まれるように彩られ、昼間とは違った独特の情緒と趣を醸し出します。
木遣(きや)り、手締め、万歳等、千秋楽の行事を終えた山車は、祭礼を終えた安堵の想いと一抹の寂しさの中、帰り囃子の音とともに、山車蔵に帰っていきます。