筒井町天王祭
神皇車
神皇車(じんこうしゃ)は、文政7年(1824)に旧広井村新屋敷で三之丸天王祭の見舞車として作られた山車で、明治20年に当時の筒井町が購入しました。屋根、高欄部分が朱色に塗られ、水引幕は白地、大幕が青地と彩りが鮮やかな山車です。
水引幕には、十二支の豪華な刺繍があしらわれています。その下絵は江戸時代後期の名古屋土佐派の画家である森高雅始め、山本梅逸、渡辺清等の郷土の高名な画家により描かれ、江戸後期の工芸技術の粋を集めた貴重なものといえます。
人形は、屋台に神功皇后(じんぐうこうごう)、武内宿禰(たけのうちのすくね)、面かぶり巫女(みこ)、正面の一段下がった前棚に采振り(さいふり)が1体載ります。神皇車の名称は、大将人形の神功皇后に由来しています。
からくりは、神功皇后が三韓の戦におもむかれる時、海上に龍神が現れて金玉を海上に投げ、波が静まったという故事に基づいた内容を演じます。とくに、舞を踊った巫女が、鬼面をかぶるをともに、錦の衣装に早変わりをし龍神に変身する様は圧巻です。
湯取車
湯取車(ゆとりぐるま)は、万治元年(1658)に東照宮祭礼車として、中区旧桑名町で造られましたが、同町が新車を造ったので、天保2年(1831)に当時の情妙寺前へ譲られ現在にいたっているもので、現存する山車の中で最も古い歴史をもっています。
もともと湯取神子車(ゆとりかみこぐるま)と称していましたが、同名の山車が西区比良にもあり、文化財指定に際し区別するため現在の名称にしたといわれています。
高欄部分には、紅葉錦、流水などの見事な彫刻、屋根には金箔塗りの鏡天井が施されています。
水引幕は、昼と宵で異なり、昼には森高雅の下絵といわれる雲龍の刺繍をあしらった水引幕に、猩猩緋(しょうじょうひ)、紺、緑の三色縦継ぎの大幕を用い、宵には、渡辺清の下絵といわれる麒麟、鳳凰、亀の水引幕に猩猩緋単色の大幕を用います。
人形は、屋台に安倍清明(あべのせいめい)と巫女、前棚には2体の人形が載っています。向かって左の人形が太鼓、右が笛を持っています。笛吹きは、笛を吹く所作が鼻にあたるところから「鼻こすり」の愛称で親しまれ、ときおり瞬きもします。
からくりは、巫女が湯取り神事を行う様を演じます。湯立(ゆたて)を行う巫女が両手に持った笹で釜の中をかきまわすと、湯気の象徴として「湯の花」と呼ばれる白紙の細片が釜から吹き上がる場面は見ごたえがあります。